『わたしのアスチルベ』読んだ

この記事は6月に書き始めたのですが、忙しかったり元気がなかったり色々あって下書きに埋まったまま10月になっていました。

タイミングを逃しているにも程があるのですがもったいないので公開します。

労働はクソです。

 

 

読んだ。

 

わたしのアスチルベ - あむぱか | 少年ジャンプ+shonenjumpplus.com

 

マジで最近Aネタの話多いですね。

前回の感想記事(Aセク漫画流行ってるんか? - oyasaibombの日記)が3月末なので『「普通」「恋愛」がわからない主人公のお話』がその頃。

投稿者に削除されてしまいましたが『恋をしない男に恋した女の話』(の炎上)もあったので、(内容や主張・立場はともかく)ワンクールに一本以上その手の話が出ていることになりますね。流行ってますね。

というか私はアンテナが弱すぎるので大抵見つけてくるのはフォロイーなんですけどね。他力本願すぎるな

 

さて『私のアスチルベ』ですが、個人的にはこの手の題材の話でありがちな「そうはならんやろ」「それはなんか違うやつだろ」「なんやこの無駄に不愉快なキャラは」みたいなストレスポイントが少なくてスッと読めました。

炎上案件をつつき回してネタにするぜぇ〜wwwみたいなやつではなく普通に話が見たい人にもよいのではないでしょうか。

 

この手の話だとAセクシャルは出てもAロマンティックという単語がスルーされてるパターンも多いので、さらっと両方出してきてるあたりもちゃんとしてますね。

いや別にAセクではあるがAロマではないという人も普通にいるので、Aロマという語を出さないのはニワカ!みたいなことを言いたいわけではないのですが

ただ「他者に対して恋愛感情が湧かない」キャラをAセクとして書いてる話に「それはどっちかというとAロマ案件やろがい」となることがけっこうあったので、相対的に今回の話がちゃんとしてる〜という印象になりました。*1

 

私はこの作者の話を初めて見たのですが、コメ欄曰く元々こういう感じの話で評判の作者みたいでした。なので最初「最近流行ってるな!」みたいに思ってしまったけど作者は別に流行りに乗って描いたとかではないっぽい。

 

途中私の性癖の問題でやや残念だなぁと思う展開もありましたが、それは私の性癖が捻くれているせいなので、話が悪いとかではないです。

 

逆にかなり気を遣ってストレスポイントを無くしているせいなのか、ちょっとキャラが理性的すぎんか?こんな物分かりのいい奴おるか?みたいなところもありましたが、まあ二次元だしそういうのもアリでしょう。やさしい絵本みたいな読後感でした。

 

あと正直Aネタ関係なく良い感じの百合(広義)でした。

Aの話にBLだな……とか百合だな……という感想を持つとなんか怒られそうですが、ここで使うBLとか百合は「男男or女女間の関係性をメインとして楽しめる作品」のニュアンスです。

だからAのキャラなのに結局恋愛と解釈してやがる!みたいな怒りはやめてくだされ。

 

ネタバレを避けるとこのくらいしか書くことがないですね

中身に触れた&私の個人的な好みの話は畳むので、ネタバレは要らんとかお前の話はどうでもええわという人はショバフェスの低音蒼井翔太の新曲が来たのでこれを聞いて帰ってください。

 

www.youtube.com

普通におすすめなので帰らない人も聴いてください。

そのうち蒼井翔太をおすすめするだけの記事書きたいな

 

さて、中身の感想なのですが

まず印象に残るのは、よくある「A当事者の主人公がAという概念を知ることで救われていく話」系の筋と思わせて、実は主人公はAではなかったというストーリーでしょうか。

 

「恋愛をしないという触れ込みで出てきた主役が結局恋愛をする」という展開は、それだけならよくあるガッカリ案件(個人の感想です)なのですが、この話はそういう展開でありながらガッカリ系とは違ったものになっていて面白かったです。

割とテンプレ展開を踏まえつつあえてズラしているような気がしますね。

 

「恋愛をしないという触れ込みの主役が結局恋愛をする」展開は、「よくあるし割と嫌われてるやつ」として同意を得られると思います。*2触れ込みの通りに恋愛しない話を求めて読んだ人は裏切られるからですね。

眼鏡ヒロインとして広告されてた癖に蓋を開けたら「眼鏡を外したら美少女!」売りだったみたいなことですよ。

別に眼鏡を外したら美少女もそれはそれでいいですけど、最初に見える情報が「眼鏡ヒロイン」だけだったら眼鏡のままでいてほしかった人がションボリするのはそりゃそうですよね。

 

しかも結局恋愛をする系の話は、「やっぱり恋愛は最高だよね!自分も恋愛ができるようになってハッピー!」みたいになるやつが多いので、「たまに眼鏡を外すと美少女」ですらなく、「眼鏡で広告してきたくせに途中からただの裸眼美少女化する」みたいなことですからね。

だから「恋愛もするけど、それとは別に友人も大切なんだよな」という方に重心を置いた描写になっていたのは、多分多くの人が「嬉しい期待の裏切られポイント」と感じたんじゃないかと思います。途中から眼鏡を裸眼美少女の踏み台としか扱わないような話が多い中で、眼鏡の良さをなかったことにしてないみたいなことですからね。

 

あと個人的には主役のあおいのキャラも意外性を感じて面白かったです。

冒頭のあおいは、異性が苦手で、異性に恋愛感情や性欲が向かないことを気にしていて、周りの目線や世間の「普通」を気にして、無理していて、「自分はおかしいんだ」みたいなことを言って、困ってオドオドしている、という描写で、「Aのテンプレキャラ造形ってかんじだなあ」と思いました。

 

Aのキャラが出てくる話ってこういうの多くないですか?オドオド困り可哀想系か、ずっとイライラして不貞腐れてるタイプをよく見るなって思います。

前者は『「普通」「恋愛」がわからない主人公のお話』、後者は漫画家だかイラストレーターだかが同性の友人と同棲するやつとかがそうでしたね。

 

だから最初はあおいも前者タイプなのかな、と思って見てました。

でも奏と出会ってからは意外と思い切りが良かったり明るい面が描かれていて、安直にテンプレ造形にしているわけじゃないんだな~と思えたし、ずっとウジウジオドオド可哀想ヒロインアピールされるよりストレスが無くて好印象でした。

まああおいは結局Aではなったので「Aのテンプレキャラか否か」を判定してもあまり意味はないかもしれませんが、読んでいる途中でも「あーはいはいテンプレテンプレ」というダルさを感じない描き方になっていて読みやすかったです。

 

奏の方も、序盤ではこういう話でありがちな「主役に色々教えてくれる、大人で安定したケア役」みたいなポジションっぽく見えるのですが、中盤から奏にも色々あったことがちゃんと描かれていたのがよかったです。

っていうかあおいを主役だと思ってこの記事を書いているけど、表紙絵が奏だし実は奏が主役なのかもしれんな。主役はハルヒキョンは視点人物みたいな。

あおいのパートナーの男性は最後までサブに徹していたし、ダブル主人公と見るのが適切かもしれない。知らんけど。

 

奏は「恋愛を素晴らしいものだと思って憧れていたのに自分にはそれができなかった」というキャラで、だから中盤まではAセク・Aロマであることを苦しいことだと認識しています。

これは地味にフィクションでAセク・Aロマを扱う時には取り上げられてこなかったタイプではないでしょうか。(私が知らないだけだったらすまん)

ネットとかだと割とそういう、「恋愛に憧れているししたいのにできない」みたいな感じの当事者の声も見かけるのですが、フィクションだとどうしても「恋愛やセックスをしたくないのに世間に強いられて困っている」タイプのキャラが多いです。

フィクション内のマイノリティの描写がテンプレ化していると、そういう「それっぽい」タイプじゃない人が取りこぼされるので、実際割と見かけるのにイマイチフィクションでは無視されていたタイプを採用しているのは評価ポイントだと思います。

 

個人的にはAであることがコンプレックスで……みたいな設定はあまり好きではないので奏はただのサバけたキャラでもよかったのですが、まあ話としては綺麗にまとまっていたし、この形がちょうどいいんだと思います。

 

あと別件でネットを彷徨っていたらもっと全然話題がホットだった時期に感想を書いていた方を見つけたのですが、

herve-guibertlovesmovies.hatenablog.com

 

奏の方は結局「”まだ運命の相手に出会ってないから”とかじゃねえわ。普通にそんなの無いわ。」という書き方になっていたのに、あおい・奏双方の扱いが「いい相手理論」を肯定している、みたいに取るのはちょっとちがくないすか?と思いました。

あおい側はそう誤読する可能性があるにしても、少なくとも奏側は「いい相手理論」を信じていたけど、違った。っていう否定のポジションになってますよね……?

 

あと「ネタにするのは早すぎる」というのもなぁ、それ言ってると永遠にAを扱った話が出てこなくなるのであんまり言わない方がいいんじゃない?って思います。

これは個人的な立場ですが、数が出てこないうちにクオリティを求めるのは基本的に無理だと思います。だから例え炎上するようなつまんなかったり稚拙な内容であっても無いよりはある方が全然マシだし、その炎上自体が次に出てくるやつに繋がって徐々に描写の正確性が上がり、リアリティとバリエーションが増していくって順番なんじゃないでしょうか。

勿論明らかに間違っている部分や間違っている感想に「違うぞ」って言うのは全然わかるし、個人的にここが気に食わんとかもどんどこ言っていいと思ってますよ。

ただ「今それを扱うのはよくない」的なことを言うのは結局困るのこっちじゃないか?と。

まあでもこれは私がAが出る話めっちゃ増えてほしいな~~~!!!と思っているからで、変な描写されるなら無い方がマシという立場なら別に困らんか……。

 

あとテンプレを踏まえつつの外しが作風なんだな~と感じたので「書き方が古い」は違う感想だな~ってなりました。古いかなあ……?

欠損的な描き方が、ってことでしょうか。でも「キャラがそういう風に思っていた(思わされていた)」っていう部分なので、最終的に羽無しを肯定しているのにその前段階としてそういう比喩を使うのもだめなのだろうか……

 

それこそAであることをコンプレックスとか思ってないタイプのキャラが出るといいのかもしれませんが、一回の話であらゆる立場を描写するのは不可能なので、そのあたりは今後扱う作品が増えることでカバーされていかないかな。だからこそ余計に「早い」と言わない方がいいんじゃないかな……。

 

ノンセク彼氏漫画の時にも書いたんですけど、フィクションの中で(特にマイノリティに対する)偏見や差別を描くことをあんまり否定してほしくないんですよね。

昨今だとその作品自体が差別的だとか誤解を招くとか叩かれる方向に行きがちですけど、そもそも現実として未だにそういうものに苦しめられている当事者は居るわけで。

そういう描写を見て「またこういうこと言うのか!もう見たくねえよ!フィクションでくらい幸せな世界にしてよ!」って思うの当事者が居るのは分かるんですけど、描かれることで「これは自分だ」「自分がされている嫌な事を認識している人がいるんだ」と救われたり、「これめっちゃわかるな、クソだよな」と共感して楽しんだりする人も居る筈なんですよね。

私も割とわかるわかるこういうクソ〜〜ってなる描写は好きな方です。

 

元ツイが見つからんのですが、昔見た「最近のBLって"同性同士であることの葛藤、障壁"みたいな要素は古い!みたいな風潮あるけど、現実の当事者はその辺で悩んでる人全然居るし、そういう作風得意な人は無理してやめなくていいと思うよ」みたいなツイートを思い出しました。

優しい世界、幸せな世界を描くフィクションも重要ですけど、現実の現在に存在するクソを無いものとして扱うことを推奨されると困りますわね。

 

以上です。

下書きを漬ける生活をやめたい。

*1:ただノンセク彼氏漫画の感想記事(ノンセク彼氏漫画の感想と、感想の感想 - oyasaibombの日記)でも書きましたが「ノンセクシャル」という語を使う人は「Aセクシャル」を「Aロマ且つAセク」を指す語として運用していたりもするのでこのあたり面倒くさいんですけど

*2:いくつかあった「途中地雷展開かと思った」みたいなコメントはおそらく「恋愛をしないという触れ込みの主役が結局恋愛をやる展開」を指して地雷と言っていると思います。たぶん