もう終わったと思って油断して遅くなりました。
前回記事はこちらです
朝のシーンからですが高橋がうどんを踏んでいません。
なんか咲子と高橋が上手くいってないってことなんでしょうかね。
最終回なのに……うどん………
朝食を食べながら高橋は職場の結婚祝いはキッチングッズかバスタオルどっちがいいかという話題を振ってきますが私は断然バスタオルがいいと思います。
キッチン用具は好みがあるので合わなかったら邪魔なゴミになるけどバスタオルは消耗品ですからね。切れば雑巾にもなるし。
「店長はお祝い選びも店長代理の仕事だって言うんですよね」と言っているところからも、高橋はなんやかや店長代理をやっていくつもりのようです。
咲子は飽きもせずにまた昨日の仕事の話を蒸し返そうとしますが高橋はさっさと朝食を終わらせて退散します。
出勤前に真剣な話できるわけなくない?出勤前だぞ?
本人が要らんと言っている話を何度も何度も振ってくるのも嫌なんですけど、朝忙しいのに長くなりそうな話を振ってくるのも嫌すぎる。
これから出勤というタイミングでルーティン以外の行動を入れないでほしい。
なんかもう話題の内容もそうだけど行動が全体的に相手の都合を考えてないんですよね。
咲子って多分話としては優しいキャラのつもりなんでしょうけど、1話から一貫して自分の立場だけで考えていい感じのつもりのことを言っているように見えます。
最初はそういうところが徐々に改善していく話なのか?と思っていたんですが、最終話まで来てもこの調子なのでだめみたいです。
セクシュアリティがどうこうよりこういう部分を直した方が友人関係が上手くいくのではないでしょうか。
松岡は咲子に好意がある分妥協してくれるのと、あっちも押しが強いタイプなので合うのかもしれませんけど、正直1話で咲子が言っていた「友達とも長続きしなくて……」ってやつは恋愛観がどうこうよりこういう自分本位なところが嫌がられてたんじゃねえのか?と思ってしまいますよ。
出勤途中に松岡が絡んできますが、徒歩なのはマジの近場なのか駅から職場までの間なのか。
高橋の「この家から通える職場がいい」という話、そもそも電車通勤の人間ならそんなに狭い範囲の話にはならないと思うんですけど、30分以内じゃなきゃヤダ!とかそういうレベルなんですかね……
あっ待ってよく考えたら1話で退勤後に咲子と高橋で高橋家に行く時自転車押してませんでした?
自転車圏内の職場かあ………………うんそれは転職したくないでしょうね。
それだけのアドがあるならもう仕事は仕事で割り切りまーすでいいんじゃない?
話が逸れた。
松岡曰く、咲子が企画した恋するクリスマスフェアが社長賞に選ばれたそうです。
4話で「恋愛が分かってるかどうかとかより客を喜ばせようという気持ちが大切なんだ!」という重要会話をしていたあれですね。
賞を貰うということは、この「喜ばせようという気持ち」から出力したものの良さが周りに認められた、ということです。
これをここで出すということは、多分話的には咲子高橋間の関係性にもそういうマインドで挑むのが良い、という示唆だと思うのですが……いや分からん、関係ないかも。
でもさっきも言っている通り咲子の「喜ばせようという気持ち」みたいなのってどうも独りよがりなんですよね。
ここまで咲子の無神経ムーブは一貫してスルーされてきているし、その咲子の企画が周りから評価されているあたり、話を作っている側から見て咲子は周りから見ても思いやりのある優しい人間ということになっているのでしょうか。恐ろしいですね。
松岡は賞の件を祝ってくれますが咲子は高橋の件でテンションが低いため、また松岡が話を聞いてくれます。
咲子は「仕事は人生の全てではないけどやりたい仕事をやれる方が幸せだよね?」とか言うのですが、うーんこのキラキラ志向よ。
職場にシーンが移動し、「高橋さんの気持ちもわかる」と松岡。
高橋はリスクのある楽しい仕事より今の暮らしを選んだのだろう、そのくらい咲子との生活が大きなものになっている、恋愛抜きで家族になれているということだから喜ぶところでは、と至極真っ当なことを言う松岡に、しかし咲子はなんか納得しないらしい。
思えば咲子が企画という記号的キラキラ女子のテンプレ職種であることも、咲子の仕事に対するお花畑っぷりと繋がっている気もします。
結局こういうのって「仕事はカネを稼ぐための手段で、趣味で人生を楽しむ」というライフスタイルを馬鹿にしているから出てくる言動じゃね?と思ってしまうしムカつきます。*1
これは私の好みの話で、そういうキャラに勇気付けられるみたいな人がいるのも知っているし理屈は分かるのですが。
でもそういうキャラのキラキラした仕事の裏ではそいつがつまんない人生笑と思ってるような仕事がたくさんあると思うよ……となる。
それともそういうキャラは地味な仕事をしている人間は地味な仕事を本気で楽しいと思ってやっていると思ってるんだろうか。
まあそういう人もいるだろうけどそもそもはたらきたくない。
めちゃくちゃ話が逸れた。
とにかく咲子は口では「仕事は人生の全てではない」と言いながら、仕事の面白さを優先することによって人生の他の要素が悪化する可能性について全く思い至らないらしく、謎です。
退勤後?に妹の見舞いに行った咲子は「顔が辛気臭い」「そうやっていつも思ってること溜め込んで」とか言われていますがお前も原因の一部だよ多分。
流れでまた例の子供問題の話になり、咲子が「高橋さん(子供)欲しくないみたい」「それ聞いてほっとしちゃって」「私も高橋さんと同じだったみたい」と言うと、妹が前とは打って変わって「よかった」「欲しくないって言ってる人に無理に勧めんのは違ったかな~って。ごめんね」と普通な反応をしてきます。どうした?
6話の暴れっぷりから何故こうなるのか分かりませんが、浮気されて荒んでいただけで落ち着いて考えたら気が変わったとかなんでしょうか。
よくわからないので最終回急に畳みに来たなという気持ちになってしまいます。
そして詳しい話は同じく見舞いに来た母に聞いてもらう流れになります。
母は一通り聞いた後に「今でも咲子に結婚して子供を産んでほしいという気持ちはある」「でも恋愛しない道を選んでもいいとも思っている」「そのかわり幸せをしっかり掴んでほしい」ということを言ってきます。どうした?
なんかすぐには受け入れられなかったけど気持ちの整理がついた的なことなんでしょうか。
別にいいんですけどさっきのシーンと続いているのでやはりちょっと最終回急に畳みに来たな、という気持ちになります。
とはいえ、母の方は2話のみりんを買いに行くくだりなどで咲子のことを大切に思っている描写はあったため、ここの発言に至るのが割と分かります。
父親も2話や6話で分からないなりに受け入れようというスタンスなのが書かれていたと思います。
一方妹は6話まで割とずっと無礼で偉そうだったので、今回の畳み方が雑に見えました。分かる人は納得できる感じなのでしょうか?
まあ私が所謂保守的な家族に執着が無く、妹の元々の考えが全然わからんせいかもしれません。
そして帰宅。今日の高橋は割と落ち着いているようです。状況は変わってないけどなんで?
咲子は朝までとは切り口を変えたのか、「自分にとっては今の生活が大満足だしベストだけど、高橋はどうか」というところから話し始めます。
高橋は自分もこの暮らしが気に入っているが、だからこそ猪塚の提案に対しても家を空けることや咲子と家族でなくなることの怖さの方が勝った、みたいなことを言います。
咲子と暮らし始めて新しい生活を知り、新しい食べ物や新しい人たちを知って、それまでモヤモヤ(1話出現ワード)していた自分の人生がはっきりして色づいていった、と言っていたのですが
この語りの間思い出ダイジェスト的な映像が出ていたのですが、その中に6話の妹も入っていて、それも含まれるんだ……となりました。
タイミング的には「今の生活で出会った良い人たち」ではなく「こいつのクソムーブのおかげで逆に自分の人生がはっきりしてきた」の枠かもしれませんが、でも6話時点の高橋は娘ちゃんを悲しませないでくださーい!!ばっかりで妹に対してはあんまり何も言ってなかったしな。
見ている分には一方的に迷惑をかけられただけに感じましたが、高橋があの件についてどう思っているのかはいまいち分かりません。
妹の件は作中でろくに「クソだよね」という扱いを誰からもされないのが嫌なんですよね。
ああいうのを「無礼を働かれた側が寛容さを示す」形で終わらせて、しかも誰もその無礼に真剣に怒らない、みたいな構成、普通にムカつくんですけど、私の気性が荒いだけなんですかね?
だからこそ2話で咲子が家族に対してキレたのは、(キレ方は好みでないけど)話としてよくわかると思ったんですけど……
いやまあこの話はもういいか。
高橋は「初めはまさかなれるとは思わなかった恋愛抜きの家族にも、なれるんじゃないかと思っている」「だからもう一人には戻りたくない」と言うんですが
いやだから「一人に戻る」ってなんなん?
同居人が居ないと一人なの??
同居人が居ない人はそりゃ家にいる間は物理的に一人だろうけど、それは別に人生において一人ということではないと思うんですけど……
それに恋愛抜きの家族をそんなに実現不可能なものと思うのもよく分からないんですよね。
これが例えば「そんなものを周りの人は認めないだろう」「理解されないだろう」みたいな方向ならまだ分かるんですけど、「自分がそれを実現することは不可能だろう」になるのはよくわかりません。
家族の中で恋愛感情ってそんなに中核ですかね?
極論恋愛感情が無くても役所で手続をすれば家族ですし……
私個人としてはA同士で連帯して生活をしたいという話に「家族」という名詞を使うこと自体なんかしっくり来ねえなと思いますが、高橋は家族をどういうものだと考えて、家族に何を求めてるんですかね。
なんか上手く言えないのですが、何故「恋愛感情抜きで家族になるなんて無理だ」と考えるのかが素でよく分からなくてですね……
だって例えば「パートナー」とかの名詞を使って、恋愛関係ではない相手と生活を共にしている当事者って普通に居ますし……
まあ初心者向け・啓発漫画的な作風だから、現実のそういう当事者を知らない人向けの流れになっているのかもしれませんが、自認してからの歴が長い高橋の方が咲子よりも「恋愛抜きの家族とか無理」派なのはよくわかりません。
世代差?
高橋は咲子に一人に戻るなら実家に戻るのか、聞くんですが、咲子が「私はここに住み続けますよ」とか言い出した。
え????
「え?」「え?」ってなってたけど私も「え?」だよ。
高橋は転職して農家をやって、自分は高橋家に住み続ければ、高橋は家を空けずに済むし好きなことができる、自分は今の暮らしが続けられると言う咲子。
え?
いや待てや。お前らの言う「今の暮らし」って人間関係の話だったの?
こいつらが言っている「今の暮らしが良い」って、生活空間に他人が居て、話や相談ができて、家事も上手く分担して……みたいな、つまり「一人暮らしは嫌」という話かと思っていたんですが。
私個人はそういうの別に要らん派ですが、こいつらは一人暮らしは嫌で、だから利害が衝突していて難しい問題だね、という話だと思って見てたんですけど、え、違ったの?
高橋は「その発想がなかった」と言いつつ(普通ないと思うよ)、しかしその提案は良いと思っている感じの反応。
え、あ、それでいいんだ……?
私から見ると咲子もデリカシーが無いし、高橋視点咲子自身は信用に値するとしても、勝手に上がり込んできて八つ当たりで暴れ回るような身内が居る人間に家を任せるのはめちゃくちゃ不安なんですが、まあそれは置いといても。
高橋の「家を空けたくない」って、自分じゃなくても誰かがそこに居ればOKなのか……。
高橋にとっての「この家を守る」って一体なんなんだ。
まあ農家は数日外出とかも難しそうだからたまに戻って管理するのも難しそうみたいな話?
普通の転職の話の時点でも家を空けたくないって言ってたのはもう分からないけど。
いやあの、高橋が渋っていたのって、本当にこの歳で転職はちょっと〜〜〜とかの現実的な話も大きいのかと思ってたんですけど。
そのへんは全部「家が無人になるのが嫌」に付随するオマケだったってことなのか。
そうか……
ていうか高橋も1話時点では「一人暮らしには飽きてきた」から咲子と生活し始めてましたよね。
え、つまりこいつらは、最初から私が感じていた「これ同居人が必要とかって話じゃなくて単にこいつらが適切なコミュニケーションを取れていないから快適な人間関係を築けていないだけでは?」という疑問の通りで、それに8話かけて漸く気付いたってことですか!?!?
高橋の「別々に住むってことは家族カッコカリは終わりになるってことですよね?」に「なりませんよ」と返す咲子。
別々に暮らしても一人ではないし、家族じゃなくなったりしない、という咲子に、そうか……!!みたいになる高橋。
いや、そりゃそうだよ。
当たり前だよ。
このインターネット時代に住む場所が少し離れたからってそれまでの関係性がリセットなわけないでしょ……何言ってるの?
そりゃ離れてる方が関係が切れやすいのはあるだろうけど、別に近くにいるからって続くとも限らないし。
私は大学の知り合いたちとは数年会ってないけど未だにオンラインで卓ゲしてるよ。
いやなんか……え?めちゃくちゃ当たり前の話してない?
咲子の主張、「もし自分がここに住みたくなったらその時また一緒に考えればいい」「高橋も農家頑張ってみて、だめなら辞めちゃえばいい」「言葉にすると縛られてしまうから、全部カッコカリのままでもいい」「色々話し合って無理なら、無理に家族でいることもない」など。
え、あ、はい……
いや、言ってることは全然わかりますが、その「やってみて無理ならやめてもいい」とか、そんなの当然選択肢に入れた上でキャリアのリスクを取りたくないって話かと思ってたんですけど、そこまで考えてなくて、もっと手前の問題だったってこと?
いや、おまえらがいいならおれはなんでもいいけど………そう…………
そして話がまとまり、良い雰囲気での夕飯になった。
そういうことで結局別居することになった……という顛末をファミレスで話している咲子と松岡。
咲子と高橋が「結構ドライな感じ(4話より)」なのは相変わらずのようで、見送りのために咲子が仕事を休むとかはせず、高橋はスッと引っ越すとのこと。
松岡的には意外な展開だったようですが「まあいいけどね、二人がよければ!」と爽やかに言ってのける松岡。マジで良い奴だな。
ここで咲子が少し真面目なトーンで「いつもありがとう、理解しようとしてくれて」と言うのですが、本当にそうだぞ。
松岡、別に好みのタイプのキャラではないのですが、4話以降マジで良い奴なので普通に失恋に同情してしまう。
ところでめちゃくちゃ良い奴なのに何故序盤あんなに愚かに描かれていたんだ?と思っていたけど、もしかしてあれは一般的な感覚で見ればそんなに酷いやつではないという想定で書かれてたりしたんだろうか。こわい。
ここでモブが「2人共やっぱり付き合ってたんだ〜!!」とか絡んできます。
出た!愚かモブだ!
そしてそこに現れる上司「やめた方がいいぞそういうのは」
テ、テメーは序盤で恋愛脳ムーブをしていた上司!!どうした?急に畳みに来たな。
そして上司がその発言をしたことに分かってくれたんすね!!とめちゃくちゃ喜ぶ松岡。
松岡……良い奴だな……自分失恋してんのに……
いやでもこれ、咲子と松岡は恋愛関係にはならなかったけど、だからと言って咲子と松岡の間になんにも無いわけではない、普通の友達よりも大切で特別に思っていることもある、という話でもあるんですよね。
だから「恋愛じゃなくても大切な関係はある」という考え方は、松岡の立場からしても利害が衝突するものではないのかもしれない。
まあ咲子のことを恋愛的に好きだった松岡にとってそれがベストではないとは思うんですけど……
尚この辺の話は創作BLでフォロイーとめちゃくちゃした。
そして祖母の墓参りをした後、晴れやかっぽい雰囲気を醸しながら高橋は引っ越していった。
そして朝のシーン。
高橋が出て行った直後かと思ったら一年後だった。
高橋のブログの文というていで長独白が始まり、それに合わせて高橋、咲子、猪塚、千鶴、咲子の妹と子供たちと両親……などのネームドキャラたちがいい感じに暮らしているダイジェストが映る。
咲子が猪塚に「トマトアイスってどうですか!?」とか提案していてガリガリ君のヤバいマズいやつにそんなんなかった?と思ってしまった。
妹は離婚して大変そうだけどなんかいい感じっぽくされていた。
あの両親は考え方が古いところはあるけど、基本子供のことは大切だし優しいみたいなのでよかったですね。子供が可哀想だから離婚なんかするな!とか言うタイプではないみたいだし。
高橋と咲子・松岡は仲良くLINEや電話が続いているみたいです。
っぱ時代はインターネットだよ。ちょっと離れるくらい平気だって。
高橋の独白。
ここまで割と台詞をニュアンスで省略して記事を書いていましたが、ここのポエムの後半部分は重要な気がするのでとりあえず全部書きます。
「思えばずっと諦めの中で生きてきた。
何故自分の方が伝わるように努力しなければいけないんだ、理解してもらわなければいけないんだ、僕こことは放っておいてくれ。
そう思っていたし、この考えが間違っているとは思わない。
ただ僕は、この一年と少しの間の新しい出会いによって、ほんの少しだけ諦めの中から飛び出してみることにした。
諦めをやめた分だけ自分に返ってくるものがあって、多分今、生まれてきて初めて思っている。
こんな人生も悪くない、って」
うん。
それね、当たり前です。
人生下手か?
いやさあ、少数派側が説明コスト払わされがちでムカつくっていうのは分かるんですけど、ちゃんと社会をしないと快適なコミュニティを作れないのは当たり前ですよ……。
「社会をする」というのは他に短い言い方が思いつかなくて、ツイッターの一部の相互にだけ通じる言い回しをしてしまったんですが、ざっくり言うとここでは「自分にとって快適なコミュニティを作るための適切なコミュニケーションコストをちゃんと払う」みたいなことです。
この「快適なコミュニティ」「適切なコスト」というのは、別にものすごく善人を演じてキラキラなコミュニティを作れという意味ではありません。
例えば私はツイッターの素行が悪いですが、あれは周りにもある程度近い治安の人が居た方が心地よいと思っているからあんな感じのままなのです。
これフォロイーの悪口だな。すみませんブロックしないで。全員がそうという意味ではないです。
とにかく、仮に周りは優しくて良い人だけがいい!!と思うなら、私はツイッタースタイルを見直します。
自分は汚ねえツイッターをしているのに、優しくて良いキラキラな人たちに優しく扱われたい!というのは、無理です。それは求めるものに対して適切なコストを払っていません。
別の例を出せば、いつも「誰も見てくれない……褒めてもらえない……感想来ない……」とか言ってる創作マンが、他人の作品を見たり褒めたり感想を言ったりという交流を全然していなかったら、そりゃ交流をしている人よりは見てもらいにくいし褒めてもらいにくいし感想も来にくいだろうよ、という話などもそうです。
そして、自分のことを理解してほしい、自分の望む対応をしてほしいと思うなら、そりゃ受身察してちゃんスタイルで上手くいくわけないですからね。
これは別にマイノリティに限らない話ですよ。
一般論として、言われてないことなんか分かるわけねーんですよ。
確かにマジョリティはマジョリティであるが故に、察しコミュニケーションによってある程度コストを踏み倒せるという特権はありますが、普通に真面目に説明をする方がコスパはいいと思います。*2
だって実際察してちゃんスタイルの人が察してもらえなくてキレてる例はツイッターで無限に回ってくるでしょ。
多分拗ねてるマイノリティが思ってるほどマジョリティが何も言わなくても上手くいくわけでははないと思います。
これは好みの問題なんですが、私は察しコミュニケーションが好きではないので、なんで私のことは察してもらえないんだ!!よりはおまえらももっと説明しろ!!わからん!!になる。
高橋は「諦め」って言ってますけど、高橋は諦めていたというよりは拗ねているように見えるんですよね……
まあ簡単に問題が解決したらドラマにならないだろと言われたらそうなんですけど。
なんかずっと「コミュニケーションをやれ!!」って言ってんなこの感想。
そして最後に咲子のポエム独白が入って終わる。
「大満足な毎日。大満足な私たちの形。
この大満足に、それでも何かを言ってくる人たちがいるかもしれない。
でも、絶対忘れちゃいけない。
私の人生に何か言っていいのは私だけ。
私の幸せを決めるのは、私だけ。」
……さっきまでめちゃくちゃ高橋の人生に口を出していた奴が言うのは笑いどころなのか?
口出しの結果良い方向に行ったから良いってこと?
でもおまえがうるせー!と思ってる人たちも自分の口出しによって良い結果になると思ってるから口出してるんだと思うよ。
うーん。
はい。
まあオチは「知ってた」「そりゃそうだよ」って感じでしたが、全然納得いかない変な結論を出されるよりは良かったのではないでしょうか。
私は割と自認してから長いし、この手のことを暇があればコネコネと考えているタイプなので「そりゃそうだよ」となりましたが、Aという概念すら知らなかった人や、最近自認した人や、深く考えていなかった場合にはなるほど!!となる流れなのかもしれません。わからんけど。
感情的な感想で言えばそもそも咲子も高橋も好みでなかったので、「キャラが好みでないので私向けではない」で終わってしまいます。
ストーリーに対しては、やはりAの人間の無礼行為はスルーして話が進む点が気になりました。
猪塚と高橋の関係については、私が7話の指輪のシーンの意味をよく分かっていないので、猪塚がヤバい奴だっただけかもしれませんが。
妹もスルーされていたのはそうなのですが、妹は畳み方が急ではあるものの一応変化が書かれていたのに対し、咲子や高橋のそれはちょっとどうなんだよポイントはあまり回収されないので、見ていて気になりました。
ただこれは、私があまり困っていない当事者で、且つ気性が荒いタイプだからこう思うのもあると思います。
この話で感動したり泣いている当事者も居るらしいし、そういう人たちはおそらく日常でも色々深刻に困っているぽいので、そういう人たちに「とはいえお前らもこういうところ良くないぞ」みたいな流れを見せたらめちゃくちゃ文句言われそうですもんね。
あとまあ、よく知らないで見ている非当事者層に向けて「まあこいつらのこういうところも良くないけどね」を見せると、「なんだ、やっぱりこいつらの問題じゃん」と理解されてしまう危険性があるので、それ防止というのもあるかもしれません。
でもそれをやりすぎるとまた被害者側絶対有利になっていかに自分が被害者かを競い合う不幸マウント大乱闘になりかねないので、私としてはあまり支持できません。
あと、直前と逆のことを言う感じになってしまいますが、最終回で妹や母、上司と「理解の無い人」だったキャラたちの歩み寄りをまとめて書いていましたが、個人的には伏線のなかった(と思う)妹あたりは「相変わらず理解の無いままの人」として書いてもよかったのでは?と思いました。
咲子の最後のポエムでも一応触れていますが、いくら説明したり色々言っても全然考えが合わない人っていうのは絶対存在するんですよね。
このドラマは「踏み出してコミュニケーションをしたらみんなに分かってもらえてハッピー!」という作風で、それがハピエンとして需要があるのは分かります。
分かるんですけど、私は陰キャなので、こういうハピエンが示されることによって「お前も周りに理解してもらえるように頑張れよな!!理解されないのはテメーのコミュニケーションが足りないからだ!!」という圧にもなるよな〜という方が気になってしまいます。
現実には「距離を置く」というのも有効な手段で、それによって自分の生活の快適さを守っている人も沢山いて、それはそれでいい筈じゃないですか。
別にこれは性的指向の話に限らず。
私はこの感想で何度もコミュニケーションをしろ!!と言っていたんですが、コミュニケーションをするというのは、周りの全員に理解してもらうこととは違います。
コミュニケーションをすることによって、こいつとは絶対合わねえわ、とか、この人も実は同じことを考えていたんだ、とか、この人とは性質が違っても上手くやれそうだ、とか、そういうのが分かりやすくなるということなんですよ。
だから「コミュニケーションをする」のと、「合わん奴とは距離を取る」は対立せず、同時に使える手段です。
距離を取る、はこういう話だと突き放しに見えるのは分かるし、だから避けたのかもしれませんが、個人的にはそっちも少し扱ってほしかった気もします。
それと、終わってから振り返ると、咲子と高橋が両方ともコミュ障だったのも気になりました。
Aが全員コミュ症だと思われそうだ。
いや、私も全然コミュ強では無いのですが、この2人のように「何が問題で、何が必要で、解決の為にどういうコミュニケーションを取るべきか」という思考がガバガバで、周りにぼんやりとした不満を持ってメソメソする、みたいな、ローカルな言い回しをすれば社会をやっていないタイプを見るとキツいです。
「人当たりが悪いので友達がいないけど、別にそれでいいと思っている」みたいなキャラとかは、現実ではともかくキャラとしてアリと思うんですけどね。
まあこれに関しては、公式側は咲子を優しく有能で社交的と思っているような気もするので、私が陰キャなせいかもしれません。
ただ陰担当っぽい高橋の人格も推せないので、その点はしょんぼりでした。
総括して、8話という尺の中でAに関わる色々な問題を取り上げており、細かい部分でええ……?とはなりつつも概ね無難な着地をしていて、地上波で初めてそのテーマを扱ったドラマとしてはまあ良かったのではないでしょうか。
スタッフブログや外部のインタビューで、監修の人が繰り返し「色々なタイプの当事者を描こうとしてはいるけど、でもこの話も一例に過ぎない」「これから色々な当事者が描かれるようになってほしい」ということは言っていて、これはマジで私もそう思っています。
なので、私が咲子と高橋がどっちも好みじゃねえ〜〜と思ったのと同じように、AロマやAセクってキャラ属性*3ええな!でもこいつらは好かんわ!と思った人たちがこれから色々なAのキャラを書いてくれたらいいな〜!!と思います。
というわけで私はツイッター交流やTRPGで好みのAのおにいさんをつくる作業に戻ります。
ではな!
もう二度と週1の番組を追って感想記事とか書きたくないです。つかれた~