「カノホモ」をやっと読んだ感想(長い)

「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」、通称カノホモのことを知ったのは結構前だ。

その時は作品紹介の文言を見て勝手に内容を誤解して、試読で勝手に裏切られた気分になっていた。

何を勘違いしたかって、ゲイと腐女子が友人として親睦を深める話かと思ったのだ。

そうしたら試読の時点でどうもそうではないと気付き、勝手にンだよクソがァ!と失望すると同時に、まあよく考えたら当然だわ、とも思った。

 

その時は「思ったのと違った」というショックで気力が失せて、試読部分だけで読むのをやめてしまった。

今回はやっぱり普通に内容が気になるなあ、という気持ちが上回ってきたので読んだ。

でも申し訳ないがウェブで無料公開されている方を読んだ。

試読の時点で、話が自分にとってものすごく嫌な方向に進むのではないか?という懸念があって、それが本当に嫌すぎたので、ものすごく嫌な展開になるかもしれない本を買うのはちょっと心理的ハードルが高かった。

 

結果的に言えば、嫌な予感は当たっていた部分もあるし外れていた部分もあり、内容としては面白かった。

面白かったんだけど、個人的な問題で、面白かったけど好きではない、みたいな変な状態になっている。

だから面白かったと言いつつ、ネガティブな感想を多めに持ってしまった。

ほとんどがムカついた点について書いていて面白くも何ともないのだが、Twitterでまとまりのない長文連投ツイートにして見たくもないフォロワーに見せるよりは、まとめてブログにしちゃった方がよくね?ということで書いた。

 

以降バリバリネタバレを含む。

 

 

 

 

試読から全体を読むまでで結構時間が開いた上、印象も変わったので、試読時点での感想と全体を読んだ後の感想を分けて、先に試読時点から書く。

 

 

率直に言って、試読時点で安藤純のことが嫌いだった。腹立つ。

理由は単純で自分がアセクシャルの腐だからだ。

アセクシャルの腐と言うと喪の僻みだろみたいなdisが飛んでくることは容易に想像できるのだが、今はそこは本題ではないので置いておく。

 

正確に言うと安藤純が嫌いというよりは、三浦さんが結局ヘテロセクシャルのムーブをすることにつまんねえな、と感じた、という方が正しいかもしれない。

自分は、自分がアセクなので、名言されていない限り全てのキャラクターを無意識にアセクだと思ってしまうところがある。

シスヘテロの人間が人類皆シスヘテロだと思って生きてしまうのと同じだ。

まあアセクがマイノリティであることは知識として知っているが、感覚的になかなかそうはいかない。*1

そして三浦さんが腐という自分と同じ属性を持っているせいで、余計にこの思い込みが強まっていたんだなあ、と後で自覚した。

作中の言い方を借りれば、これも「世界を簡単にしている」のだろう。

でもキャッチコピーで「少女の純粋な思い」とか、「世間の『ふつう』と、自分の本当にほしいものの差に悩んだことがある全ての人に送る」なんて書いてあったものだから、まさか最序盤の試読部分から「世間の普通」の象徴みたいなもんである異性愛の気配を醸し始めるなんて思わなかったのだ。*2

 

もっと言えば、物語にアセクという属性を持つキャラクターが出てくることをいつもどこかしらで期待している。

だから異性愛バンザイの世界にちょっと異を唱えますよ、みたいな謳い文句を見かけると、その作品が自分(=アセク)にも優しくしてくれないかなあ、と期待してしまう。

実際のところ割と空振り率が高いのに、いつまで経っても学べない。

予め身構えてから臨む時もあって、その予感は大抵当たる。でもたまに警戒を怠ってダメージを受けたりもする。

今回は後者のパターンだった。

勝手に恋愛以外での人間関係の構築を期待して読み始めたので、なんだ、また恋愛か、と落胆してしまった。

 

別にこの点は作品が悪いわけではない。

自分が勝手に妄想で期待を抱いたのが原因で、カノホモの出来が悪いわけでは断じて無い。

そうなんだけど、三浦さんがヘテロムーブをすることは、「腐女子も女なんだから、男に恋をするよね」という異性愛世界の法則を突きつけられたようで悲しかった。

被害妄想だ。

三浦さんは私ではないから、三浦さんが私と違ってヘテロであることは仕方ないのだ。

 

ただ、これが余計に堪えたのは、安藤純がゲイだからというのもある気がする。

安藤純は、言い方が悪いがものすごいマイノリティ根性の人間で(私にはそう見えた、これも私の差別感情だと思う)、ヘテロ主義に散々不貞腐れている癖に、三浦さんはその安藤純に対してヘテロムーブをさせられてしまうのかよ、と勝手に理不尽さを感じてしまった。

「ふつう」に違和感を持っている人向けの話、って言ったくせに、こっちには優しくしてくれねーのかよ、という話である。

ヘテロの男に腐の女が恋をしてしまった!どうしよう!みたいな話なら、よくあるラブコメとして受け止められたような気がする。

まあ、あらゆる属性の読者を網羅することなど不可能だから、この話は私向けではなかったと割り切るしか無い。

割り切るしか無いのだが、アテが外れて悲しい。

 

次に、安藤純本人についてムカつくのは、彼が序盤で腐女子に対してだいぶステレオタイプのイメージを持っているところだ。

既婚者の恋人とネット経由で知り合ったことに関して、三浦さんが喜びそうな話ではない、三浦さんはもっとロマンチックな話が好きなんだろう、みたいなことを独白する。

どういう作風を好むかは人によるし、なんなら私自身はむしろ安藤純のような経歴の方がフィクションとしては好きだ。安藤純は性格が好みでないので守備範囲外だが。

まあ確かに、冒頭で買っていたBL本の作風からして、三浦さんはロマンチックな話が好きそうな感じもする。だがこのシーンはそういう考察というよりは、腐女子全体に対する雑なイメージで考えているように見えてしまう。

絶対こいつ、攻は顔が長い長身でやたら手がでかくて顎が平らで、受は女顔のきゅるんきゅるんで顎が尖ってるみたいなやつを想像してるじゃん。

別にそういう作風もそれはそれでいいけど、今言ってるのはそういう問題じゃなくて、お前が「ホモだからってすぐ男のチンコ揉んだりしないから」と思ってるのと同じじゃん、という話である。

 

あと最序盤では「ゲイは重大な隠し事だけどBLが好きなんて大した話じゃないでしょ」という態度を取っているのも、こいつ自分が一番可哀想な集団だと思いやがって、と感じてしまい、普通に腹立たしい。

私は性格が悪く狭量なので、自分が一番可哀想だと思っていそうな人間が嫌いなのだ。

これに関しては三浦さんの話やミスター・ファーレンハイトとの会話で少し考え方が変わったようだが、最序盤は全体的に安藤純のダブスタに苛々しながら読んでいた。

 

とはいえ、このあたりの序盤に覚える不快感は、作者がわざとやっているのが読んでいて分かる。

私は腐なので安藤純にムカつくが、多分ゲイ(レズやバイも?)なら三浦さんにムカつくシーンも多いのだろう。実際、安藤純に共感した、というコメントも散見した。

安藤純の拗らせた被害者意識のリアルさや、周囲の無意識・無知からくる偏見、色んな方面に刺さる細々とした不快感を狙って書けるのは素直にすごい。

でも、わざとでも不快なもんは不快だった。

不快だが、先が気になっていたので、話としては面白いのは明らかだった。

 

話としては面白い。続きが気になる。

だが、「三浦さんは安藤純に惚れている」という話になったところで試読が終わったのが、私にとってあまりにも大きな問題だった。

この後三浦さんがもっと明確に安藤純に恋をする女として書かれるのは、私にとって耐え難い。

この先安藤純と三浦さんのラブ・ストーリーが展開されるんじゃないか?という恐れから、続きが気になりつつも結構長い間、この作品を読み進める勇気が出なかった。

以上が試読時点での所感だ。

 

 

次に全体。

結論から言えば、ラブ・ストーリーはバリバリ展開された。だが思ったほどめちゃくちゃ嫌な話だったということはなく、普通に面白いラブコメだった。

そして序盤で描かれる安藤純の価値観の不快な部分は、概ね後の展開でちゃんと回収されていた。

 

私はコンテンツ受容があまり上手ではない、頭の悪いオタクなので、キャラでコンテンツを選びがちだ。

別にそれはそれで良いと思っているが、「キャラが好きだけど話としては楽しめなかった」という経験も多くあるので、「キャラは好みでないが話が面白かった」という今回の体験も、これはこれで良いものだと思っている。

こうして感想を書こうと思えること自体、楽しいし。

 

「安藤純が自分が一番可哀想みたいな顔をしていてムカつく」という部分について作中でツッコミを入れるのが、モロに差別主義者として書かれる小野なのはお前が言うか的な意味で腹が立つが、仕方ないことなのだと思う。私は小野ほど表向きな差別主義者ではないが、私のそういうムカつきは、私にも小野的な性質があるということなんだろう。腹立つけど。

 

マイノリティの話として見れば、「やっぱりアセクよりはLやGやBなどの方が、それとなく隠して生きていくのは難しそうだなあ」という感想を持った。

まあ何は平気で、何が耐え難くて、何に悩むかは人それぞれなので、当然生きやすさも結局は個人によるのだろうけど。

私などは環境に恵まれているので、多分セクシュアリティに関しては悩みが無い方だ。悩みが無いので、こういうことをゴチャゴチャと考えて、こんなものを書く程度に余裕綽々だ。

安藤純がゲイであることがクラスにバラされる場面などは、他人事ながらにひええ~と思いながら読んでいた。序盤では「自分が一番可哀想みたいな顔しやがって」などと思っていたが、ちょっとすまんかったという気持ちにもなった。こういう場当たり的な感想が一番嫌われそうな気もするが。

まあとにかく、アセクとLGBあたりのめんどくささは別種のものだということは理屈では分かっていたが、それを改めて感じさせられるシーンだった。

 

 

ところで私は腐なので、作中の腐の描写がステレオタイプじゃね?ということは少々気になった。これは腐視点の感想。

三浦さんが冒頭で買っていたBL本の作風や、実質「ホモならなんでもいい」ような好みらしいということ、どう見てもFree!のことである流行りジャンルを嗜み水族館やファミレスで腐女子仲間の「姐さん」と一緒に盛り上がる様、クラスメイトでBL妄想をしていることなどは、「そんな絵に描いたような……」とも思った。まあFree!は実際流行ったジャンルなので、ファンの数は多いのだろうから、さほどおかしくはない。

ただ他の部分に対しては……うーん、でも実際そういうタイプが多いことも感じるので、やっぱりそれでいいのかもしれない。私は三浦さんに私の共感先としての役割を求めすぎるのをやめるべきだ。

あと、「なんでもいいんだな」という安藤純の認識は、そもそも安藤純は三浦さんに貸された本以外のBLを知らないので、三浦さんにも普通に地雷や嫌いなBLが存在する可能性があることは留意すべきか。

割とイタい描写されてるな、とも感じたが、それは私が腐なので腐のイタさを見ると耳が痛いだけで、他の属性の人から見たら他の属性のキャラも普通にイタいのだろう、多分。

 

私には、共通の属性を持っている登場人物が腐である三浦さんと姐さんくらいしか存在しない。(あとは「同性」くらいになる)

だから腐の描写に意識が行ってしまうが、他のゲイやレズビアンの登場人物達がどの程度「あるある」な人物造型になっているかを判断できないため(シスヘテロはサンプルの多さ的にまだ分かる)、「腐の描写がステレオタイプじゃね?」という感想はあまり客観性がないことは理解している。

 なんとなくゲイである安藤純やマコトさん、ミスター・ファーレンハイトレズビアンのケイトさんあたりは比較的デフォルメされた二次元的なキャラ付けに感じて、シスヘテロのクラスメイト達や小野の彼女、近藤さん、腐の三浦さんと姐さんなどはリアル寄りな印象は受けた。いや、でも亮平は二次元っぽいか。

まあミスター・ファーレンハイトはそういうキャラだから置いておくにしても、マコトさんとケイトさんは台詞回しに二次元を強めに感じた。

 

安藤純が高校生として会う人物はリアル寄りのキャラ付け、ゲイとして会う人物は二次元寄りのキャラ付け、だろうか?

うーん、でもこれは私が現実にエンカウントする人間が腐とシスヘテロ(この分け方は「重複なく、漏れなく」に反するけど)なのでそう感じるのかもしれないしな。(シスヘテロを演じている実際は違う相手ということも勿論あるだろうけど)

実は同性愛者勢のキャラ付けは別によく居る感じで、私の日常に同性愛者だと分かっている相手が居ないからそう感じるのかもしれない。

いや、でも恋愛対象や性欲の対象が違うというだけで言動の雰囲気にそんなに非現実感を覚えるのも変か。このあたりはちょっとよく分からない。

 

作者はゲイらしいが、自分と違うセクシュアリティや嗜好のキャラクターを書くのはとても難しそうに思うのですごい(頭の悪い感想)。

作者が近況ノートの方で普通に異性愛のフィクションも読むし書く、ということを言っていたので、これはセクシュアリティがどうというより個人によるところが大きいのかもしれない。

 

 

次にラブコメというか、恋愛要素に対しての感想。

私は普段恋愛の話を積極的に見ない。他の要素目当てで見た作品に恋愛要素が含まれている場合もあるが、それもイマイチ意味が分かっていない感じがする。

現実の恋愛にも興味がないので、三浦さんが安藤純に恋する話も、安藤純がマコトさんに恋する話も、クラスメイト達の恋の話も、いまいちよくわからない。出来事は分かるが、意味がよく分かっていない。*3

ついでに「ゲイだけど、嫁も子供も欲しいし、幸せな家庭を作りたい」という願望も分からない。これは、安藤純が「(多くのヘテロは)分かってくれないだろう」と想像しているものとは分からなさの性質がやや違っていて、「ゲイだけど」とか関係なく、「幸せな家庭」願望がそもそもよく分かっていない。*4

そういうわけで、安藤純の悩みの大部分は私にとって他人事だった。理解が及ぶ(この手の話で共感できる、と言うのは得策でない気がした)のはシスヘテロの圧がウザいみたいな感覚くらいだ。

 

話の根幹である安藤純の悩みをイマイチ理解せずに読んでいたので、話が動き始めてからも、なんだかフワフワ遠い話で、「普通のラブコメだな」みたいな感じがした。 いや、普通ではないけど、読んでいる感覚が普通のラブコメとそう変わらない、と言うべきか。序盤の安藤純の価値観が説明される部分とか、三浦さんの腐女子としての振る舞いが書かれる部分とかの方が、色々考えてしまったからだ。

だから、作者が近況ノートで作品のジャンルについて、「この話を現代ドラマだと思うのは読後であって、第一印象はやはりラブコメだ」ということを言っていたのを見て、やべえ全然理解できてないわ……となった。私にとってはむしろ「現代ドラマだと思ったらラブコメだった」という方が感覚的に近かった。

何故ラブコメに感じたかはまだ上手く言語化できないのだが、どうも私は話の中で恋愛絡みのよく理解できなかった部分を「ラブコメ」や「恋愛」と雑にラベリングして片付けており、その割合が増えるほど作品そのものを「ラブコメだった」「恋愛の話だった」と放り投げている気がする。実際、安藤純と三浦さんが(安藤純は演技も入っているが)恋人の振る舞いをするシーンなどは、おお、恋愛する人たちのムーブだわ、と他人事になってしまい、その部分をラブコメ要素として切り離していた気がする。

 

 

 読んでいて度々浮かんだ疑問がある。「このシーンって、ヘテロは、若しくはLGBはどういう気持で読んでんの?」というものだ。

三浦さんが安藤純に対して恋する少女ムーブをしているところなどは、私も「ラブコメだな」と思っていたし、多分多くの人も「ラブコメだな」と思ったのではないかと思う。*5

ただ、例えば安藤純が「女性に興味がないから可愛いが雑にしか分からない」的なことを言うところには理解が及びつつ、一方で「ヘテロ男はこういう時どうするんだ?」などと言いながらキスやらハグやらをホイホイとこなしていくシーンには、「いやお前全然恋愛偏差値高くない?」みたいな気持ちになっていた。

 どんなことをすればいいかって、君も恋しているのだから、マコトさんにされて嬉しいようなことをすればいいのではないのだろうか。そういうものではない?難しい。

 

安藤純が三浦さんとセックスを試みるシーンは、個人的にかなり嫌悪感を催すものだったが、あれがヘテロやLGBからどう見えるシーンだったのかは気になる。まああそこは話の流れからしてもあまり気持ちの良いシーンでは無い気はするが……。

とはいえこういうことを他人にホイホイ聞くのは失礼な気がするので、多分謎のままだ。

私は別にエロが嫌いなわけではないので、何が嫌だったのか自分でも難しい。

 

それから、随所で感じたのは、安藤純もマコトさんもなかなかに恋愛脳だなあ、ということだった。

彼らはヘテロ主義に疲れているけど、恋愛主義に疲れているわけではないということを再認識する。

マコトさんは(安藤純のフィルター込だが)確かにカッコいいけれども、待ち合わせ場所のカフェでも温泉でも足湯でもいつも盛っていて、なんかこうすごい(語彙)。

カフェはこれから行為に及ぶ目的で会いに来ているので分からなくもないが、家族サービスで訪れている温泉で急に不倫相手の股間を弄るモードに早変わりできるところには、器用だなあと笑ってしまう。普段が禁欲状態だからそうなるのだろうか?

私はシスヘテロ前提の結婚制度を完全に支持しているわけでもないので、安藤純との不倫関係については何とも言えない。だがそれよりも途中の生セックスや場を弁えないところで、若干アレな人だなという印象がある。そういう部分があってもマコトさんに恋している安藤純の感覚も含めて。

ロマンティック*6ってこうなの?それともマコト×純はこの作品の年の差BL要素だから、このあたりはBL作品としてのフィクション的誇張なのだろうか。

 

あと、これは試読部分に戻ってしまうのだが、安藤純が初対面の近藤さんに対していきなり「好みじゃない」と独白するのが、ものすごくロマンティック!という感じがした。

ロマンティックって、会う人に初対面から好み/好みじゃないの判定を下しているものなのか。

このシーンは、主人公(ゲイ)の価値観を序盤で一通り説明する必要がある都合からこういう描写になったのか、安藤純が男子高校生で性的な事柄に関心が強いからこうなるのか、私が気付いていないだけでヘテロ視点でもよくあることなのか、判断ができなかった。

そもそもここで引っかかる人がどのくらいいるのだろう?興味深い。

作者が以前Twitterで「アセクから見たら異性愛者も同性愛者も恋愛脳、というのを見て納得した」みたいなことを言っていたが、完全にそれだった。

まあこれは、そもそもCOしていたり、何らかの活動をしている人というのは、それだけ自己のセクシュアリティについて色々考えたり悩んだりしている人だろうから、見える同性愛者が恋愛脳傾向なのは当然かもしれない。

見えない同性愛者には、あんまり恋愛に執着が無くてフィクションだけで満足しているような、草食系ヘテロと似たような人もいるのだろう、多分。

 

 

安藤純が自分を自分として認めるに至る本筋は、読んでいて普通に楽しめた。

しかし安藤純の支えとなる三浦さんが、結局安藤純に対して恋愛感情を向ける人であるという点は、若干の恋愛主義を感じなくもない。

安藤純と三浦さんが結局くっついていない(?)(くっついているとも取れるな)点においては、よくある恋愛ものとは違うのだろうが、結局人を救うのは深い愛(恋愛的な意味で)!という意味では、割と恋愛主義だ。

そういう意味では、亮平というキャラクターがとても良かった。彼は安藤純に恋しているわけではないが、彼のスタイルは三浦さんと同じくらい安藤純にとって重要で、支えとなるものだろう。

私には三浦さんの、恋愛感情を含んだ安藤純への感情がよく分からないため、「純×三浦さん」よりは「純くん+亮平」の方が解像度の高い状態で楽しめていた気がする。

暴言を吐けば、カノホモの中で最も腐視点で楽しめたのは純くん+亮平な気もする。だって、正直素敵でしょ、この二人。*7

というか多くの登場人物の中で亮平が圧倒的に人間が出来すぎていやしないか?他の立場から見ればそうでもないのだろうか。

 とにかく、亮平という「別に恋愛感情じゃなくても他人は救えるし物語になる」という例が作中にちゃんと用意されていたことは、私にとって嬉しかった。

 

 

思った以上に長くなったがだいたい感想はこんなところだ。

結局かなり楽しんだので、やはり書籍版を購入しようと思う。

めちゃくちゃくだらないのだが、結局安藤純がHIVに感染していないことが確認できなかった点だけ不安だ。

*1:とはいえ安藤純は周りが皆ゲイだとは思っていないし現実のLGBも多分そうだと思う。これはアセクがそういう意味ではマシな環境ということなのかもしれないし、単に私が能天気なのかもしれない

*2:自分は恋愛に苦手意識があるために「純粋」と聞いて恋愛でないものを想像してしまったが、別に純粋な恋愛もあると思うし、純粋な恋愛だなあ、と感じられるフィクションもあるから、脊髄反射的なイメージだったと今になって思う。

*3:作者が異性愛のフィクションも楽しめる人であるのと同じように、恋愛フィクションを楽しめるタイプのアセクも割と居るようだが、私はそれがあまり上手ではないらしい。

*4:これは多分私がアセクだからとかはあまり関係なく私が冷たいだけだ。アセクでも「普通に恋愛したいのにできない」とか「家庭を築きたいのに」みたいな悩みを持っている人はよく見るし、むしろそっちの方が多数派にも見える。

*5:でも近況ノートで作者が「恋愛ジャンルとして見ると、あんまり胸キュン要素ないですよね?」と言っていたので、もしかしたら違うのか。

*6:この「ロマンティック」は作風の話ではない。他者に対する性欲の有無を表すセクシャル/アセクシャルの他に、他者に対する恋愛感情の有無はロマンティック/アロマンティックで呼び分けられるらしい。私はアロマンティック・アセクシャルに属するが、長いので雑にアセクシャルで済ませがち。

*7:尚純くん+亮平の次に楽しめたのはミスター・ファーレンハイトが自らの過去と故彼氏への想いについて語ったあたりだ。そっちは恋愛なのに行けるの?とは自分でも思う。謎だ。ミスター・ファーレンハイトが謎の人なので、あまり細かく理解せずとも雰囲気で楽しめるからだろうか?