ファン目線で見る鳥籠スクリプチュア

天空橋朋花と、特に鳥籠スクリプチュアがめちゃくちゃ好きだというだけの話をしたい。

 

最初に述べておくと、自分は天空橋朋花の担当Pではなくファンを自認している。

故にこれは担当Pによる担当アイドルのプレゼンというよりは、ファン目線の感想文という方が近い。

 

 

天空橋朋花を知ったきっかけは、知人Pから紹介されたLTH販促メドレー動画だった。

当時の自分はSideMをかじっていたのみで、他のアイマスに関しては「リボンの子が有名」「踊るゲームがある」「渋谷凛という童貞に人気(?)の子がいる」くらいの印象のミリしらだった。

何故か城ヶ崎美嘉のことを渋谷凛だと勘違いしていたくらいミリしらだった。

キャラが歌う系ジャンルで曲を重視するタイプである自分は、知人Pの「ミリは曲が良いから聞いてみて」というダイマにまんまとハマり、鳥籠スクリプチュアに一目惚れしたのだった。 

 

 

 

自分は、アイドルやバンドなど、キャラクターが歌う設定の二次元コンテンツでキャラソンを出す場合、そのキャラが作中で歌っていそうな曲を出してほしいと感じる方だ。

そのキャラの個人的な経験や生い立ちなどを歌詞に盛り込むよりは、そのキャラがアイドルとしてどういう芸風でやっていきたいのか、という部分が反映されていると嬉しい。

雑に言えば、キャラソンっぽいキャラソンよりは、ドルソンっぽいキャラソンを好む。

 

 鳥籠スクリプチュアは、現実のアイドルっぽいか?と言えば、多分ノーだ。

現実のアイドルに詳しくないのでイメージだけど、アイドルっぽいのはLTHで言えば水中キャンディとかWhy?とかだと思う。まあ要するにKOH曲みたいなタイプだ。

アイドルっぽいというより歌手っぽいの方が正確な気もするが、リアルアーティストっぽいくらいの意味だ。

 

でも自分は、鳥籠スクリプチュアが「ドルソンっぽいキャラソン」として好きだ。

曲調も普通に好きなのだが、アイドルジャンルにおけるキャラクターソングとして見ても、もうツボというツボを突かれている。

それは、ダークな曲調で二次元キャラっぽさを表現しつつも、同時にこの曲が「アイドル・天空橋朋花」のスタイルをこの上なく的確に表わしていると感じるからだ。

 

今のところ天空橋朋花のソロは3曲あるが、鳥籠スクリプチュアは最も「ドルソンっぽいキャラソン側に位置する曲だと思う。

 Maria Trapとsisterの2曲は、どちらかといえばキャラソンっぽいキャラソンとしてカテゴライズしている。

勿論この二曲も好きだ。どちらもかっこいいし、朋花について考える上で重要な二面性、矛盾を抱え込んだような様を歌い上げていて妄想が捗る。

 でもこの二曲、「作中の朋花ファン」に向けて歌っていいのか?と疑問を抱かざるを得ない。

二面性を歌っている性質上、必然的に朋花の「弱さ」の方にもスポットを当てているからだ。

 

実際朋花は女王様のような印象が先行しがちだが、年相応の少女の面も持っている。このあたりは既に先輩P達が各所で述べておられる。

だから朋花の少女としての面を歌詞に表すのは、キャラクターを描写する上では全く正しい。

だが伝え聞くグリー版の発言などからして、朋花本人は、自分の弱い(少女としての)面はファンに見せるものではないと考えていることも見て取れる。

 そういう意味で、Maria Trapとsisterの二曲は、一人の人間として朋花を知っている、P(ユーザー)に向けた曲だと自分には感じられる。

 

まあ別にアイドルが皆本人についての曲を歌うわけではないので、「そういう設定の人の歌」「そういう設定の恋の歌」としてもいいのだろう。

しかし(特にMaria Trapは)歌詞がかなりストレートに朋花本人と結びついてしまうので、やはり天空橋朋花というキャラクターを表す、ユーザー向けのキャラクターソングという印象が強い。*1

 

 

一方鳥籠スクリプチュアでは、朋花の弱い面は表れず、最初から最後まで聖母・天空橋朋花のスタイルが歌われる。*2 

鳥籠スクリプチュアは、見ての通り聖母・天空橋朋花が、聴き手に対して貴方も子豚ちゃんになりませんか~?と勧誘する曲だろう。

要するに「入信しよう!」ということだ。宗教である。

 鳥籠スクリプチュアの宗教性と、アイドル天空橋朋花のスタイルについては、こちらの記事が詳しく、また私の考えに近い。

 

blog.livedoor.jp

 

 雑にまとめれば、

・「自由」には、自己決定の多大なコストがつきまとう。

・宗教とは、善悪や正しさの価値観をまとめた、生き方のスターターパックである。

・人は宗教に思考をアウトソースする(=不自由な状態になる)ことで、自己決定のコストを浮かすことができる。

・鳥籠スクリプチュアの「羽ばたく自由に飽きて 囚われたいのなら 私のため生きたらいい」とは、宗教の役割を聖母が果たしてあげますよ、という提案である。

・朋花はアイドル活動を通して、ファンに「不自由による救い」と「孤独感からの救い」を与えようとしている。

といった内容だ。

 

鳥籠スクリプチュアめっちゃ好き~と言ったものの、自分が鳥籠スクリプチュアで最も魅力を感じたのはその完成された宗教的世界観であり、それについては引用した記事で語り尽くされているので、私がごちゃごちゃと付け加えることは特に無い。

とても良いので記事を読んでほしい。

 

以上のような理由で、私は鳥籠スクリプチュアを最も「アイドル・天空橋朋花」のスタイルを表したソロだと感じている。

鳥籠スクリプチュアは宗教だし、アイドル・天空橋朋花は宗教だ。

 

 

自分はたまたま最初のソロ曲であるMaria Trapよりも鳥籠スクリプチュアを先に聞いたせいで、聖母としての天空橋朋花が鮮烈に印象付いてしまっている部分がある。

それが私が天空橋朋花のPになれず、ファン目線で推している理由の一端だ。

 

ただ、ファン目線寄りとは言っても、朋花の楽屋や事務所での姿を見ているユーザーなので、作中ファンに対して朋花がどの程度聖母を徹底して貫いているのかはよくわからない。

もしかしたら、意外と作中ファンからも「たまに15歳らしい面が出てくるのも可愛いよね」みたいに言われているのかもしれない。

(自分はミリシタからゲームを始めたので、グリー版を見ていれば分かることだったら申し訳ない。)

だが今の所は、ファンに対しては聖母を貫いているのかな、と思っている。

作中の朋花ファンの信仰の厚い推し方は、まさに自分が初めて鳥籠スクリプチュアを聞いて、なんて完成された宗教アイドルなんだ!と衝撃を受けたのと同じような体験から来ているのではないかと思えるからだ。

作中ファンと同じような体験ができたのではないかという点で、偶然鳥籠スクリプチュアを先に聞いたことは、私にとって非常に幸運であった。知人Pに感謝。

  

ところで、そういう経緯で天空橋朋花のファンになった自分にとって、朋花の年相応な面や、Pに対してかなり特別な好意を持っていると思わせる台詞などはそれなりに衝撃だった。

ミリシタでPにバレンタインチョコを渡す朋花に対しては、や、やだ~~~!!皆の聖母で居てよぉ~~~~!!という気持ちもなくはない。ある。正直めっちゃある。

しかしそういうショックを受けること自体、鳥籠スクリプチュアが「アイドルとしてのスタイルを表す曲」として非常に優れていることを意味していると思う。

鳥籠スクリプチュアという曲が、朋花がファンに対してこう在ろうとしているアイドル像を的確に表現しているということだ。

 

 

キャラが歌う設定の二次元ジャンルにおいて、そのキャラの作中の芸風を反映した曲ではなく、ユーザー向けにキャラクターを表した所謂「自己紹介ソング」がキャラソンとしてリリースされることは割とよくある。

もちろん自己紹介ソングにも魅力的な曲はたくさんあるし、自己紹介しつつ芸風を反映した名曲も存在する。

だが折角アイドルという設定なのだから、そのキャラが「ファンに対してどう在るか」に特化した曲も見てみたい、と私は思う。

 

キャラのありのままを受け入れて肯定することは素敵だ。

でも、そのキャラがファンに何を見せたいのか、アイドルとして何を成したいのかに合わせて取捨選択して、ファン向けのアイドル像を形作っていくことは、立派にプロデュースだと思うし、鳥籠スクリプチュアは、その一つの完成形だと思う。*3

 

個人的な願望で言えば、朋花に限らず推しには、こういうタイプの曲をたくさん歌ってほしい。

もっと言えば、推しじゃなくても「アイドルとしての芸風」を全面に推し出した曲がたくさん見たい。ユーザーが一番目にするのは、アイドルの仲間たちやPに向ける顔で、ファン向けの顔とは少し違うからだ。

きっとそこでは、ゲームで目にする彼・彼女らとはまた違った魅力を見られる気がする。

 

*1:「聖母も貴方にだけは特別な感情を抱いてしまうんです」的な、言い方は悪いがチョロイン的な聖母像を売り出している可能性も一瞬考えたが、「自分を巡って人が争わないように、みんなのアイドルになる」という志望理由を信じれば、「貴方だけは特別」みたいな勘違いさせる系の芸風を選ぶとは考えにくいと思う。

*2:鳥籠スクリプチュアを「聖母人格と少女人格の殴り合い」と解釈する考察も拝見したが、とりあえず表面上だけならファンに向けた曲と受け取っても問題ないと思う。

*3:余談だが、同じような感想を持った曲としてSideMのアスラン=ベルゼビュートⅡ世のソロ曲「我が混沌のサバト・マリアージュ」がある。こちらも鳥籠スクリプチュアと同じく真崎エリカ氏が作詞であることから、氏がその手の作風を得意としているのかもしれない。