東大祝辞を自分には関係ない話と思ってる人が多いっぽいってまじか

東大入学式祝辞、話題である。

 自分は上野千鶴子氏に関しては著作を一冊読んだことがあるのみで、その内容もほぼ忘れており、氏の普段の主張や政治的立場とかはよく知らない。よく叩かれているなぁということしか知らない。

その程度の認識で、ええ〜ほんとにそんなに良いこと言っとるんかぁ〜?というウエメセマウンティング準備スタイルで例の祝辞を読んだ。

ここで見た。

 

www.u-tokyo.ac.jp

 

 

 

氏の著作を読んだ時にはあまり深く咀嚼していなかったせいなのか、それとも素か、その内容にさほど拒否感はなかった。「なるほどと思うところもあれば納得行かんところもある」程度の普通の感じだった。

そして今回の祝辞に関しても、めちゃくちゃ感動!というほどでもなく、特別変なことを言っているわけでもなく感じた。入学式のお話としてはこんな感じだろ、程度に思えた。

一応気になったところはある。『彼女は頭が悪いから』の東大生描写は色々雑でツッコミどころがあるということをネットで見かけていた*1ので、あれを例として挙げるのはやめた方がいいのでは?とは思った。

総じて、良くも悪くも大騒ぎするほどのものには感じなかった。

 

ただ、自分は内容の正当性とか、論としておかしくないかという部分のみを気にして読んでいたので、「入学式の祝辞として適切かどうか」という部分についてはあまり考えていなかった。

だから、「勝ち抜いて東大に入学できる学生達に対して”お前の成功は努力ではなく環境のおかげだ”みたいなこと言うのは性格悪くない?」という問題については、初めに読んだ時点では気付かなかった。後から他人の感想を見て、確かに性格悪いわ、と思い直した。

 

しかし同時に驚いたのは、あの話を自分に関係ない話として受け止めている人が割と多くて、そういう人達が絶賛しているらしい、という点である。

あれに対する反応をそんなに熱心に追っているわけではないので、どうもそういう反応があるらしいということは下の記事で見た。

 

tyoshiki.hatenadiary.com

 

えっマジなん?

自分は全然エリートとかではないただのクソツイッタラーなのだが、「”努力すれば報われる”と信じて生きていけるのは、それなりに良い環境に居るからである」とか「努力しても報われると思えない人が居る」って、普通に生きていて感じられるただの事実では?

そして自分が割と良い環境に居ることを自覚した方が良い、っていうのも至極当たり前の話では……??

 

こういうことを言うと、自分があまり良くない環境に居て、エリートに対して下から目線で「お前らは恵まれてるんだからな!」と言っているみたいに取られてしまいうかもしれない。

そうではなくて、日々ツイッターを眺めていて、不幸な人多いな……と感じるのである。つまり、「”努力すれば報われる”と信じて生きていけるのは、それなりに良い環境に居るからである」という話をされた場合、自分は「良い環境に居る側」としてその話を聞いている。

 

自分は割とマジで運良く良い感じの環境に生まれていて、血縁にヤバイキチガイとかもおらず、家が貧しく金に困るということもなく、大きな病気もなく、特別な苦労も無く、ものすごく平和にぼんやり生きてこられている。

環境のおかげか、はたまたポジティブに捉えれば「努力の結果」か、学校の勉強も困らない程度にできたので、学歴がヤバイみたいなことにもなっていなくて、今もなんとか職に就いている。

 

そういう状況なので、ツイッターなどを見ていると、煽りとかじゃなく皆大変だな……とよく思う。

フォロイーの中には、家族の中にヤバイキチガイが居たり(フォロイーの家族をヤバイキチガイ扱いするのは良くないと思うが本当にヤバイと思う人が結構居る)、ヤバイキチガイじゃなくても家の問題で苦労していたり、何らかの病気で苦労していたり、なんか悪意のある人間に絡まれたりしている人が割と居る。つらい。

で、そういう大変そうな人の中で、良い環境に居る人に対して恨み言を言う人も割といる。フォロイーにも居る。

「○○のような状況に悩んでいて、それに対して××と言われたけど、それってあの人が良い環境にいるからこその考え方だよなぁと思うし、そういう考え方ができる環境が羨ましい」みたいなやつ。

いや、多分これを恨み言だと思うのは、自分が良い環境に居る側だからなのだとは思う。その人は実際に苦労していて現在進行系で大変なのだろうし、良い環境に居る人を攻撃しようとして言っているのではなく、つらいからそういう愚痴が出ているだけなのだとは思う。

でもそういう愚痴を見ていて、自分は「あ、この言われてるのって自分とかだな。」と感じる。そういうことがよくあるので、なんとなく「自分は不幸な人から嫌われているだろうな」という意識がある。平和にぼんやり生きているので。きっと妬ましいと思う。

だから「”努力すれば報われる”と信じて生きていけるのは、それなりに良い環境に居るからである」という話は、自分には「調子に乗ったエリートにガツンと言ってる!素晴らしい!」とは思えない。また言われてる……良い環境に居るのでもっとしっかりしなければならない……みたいになる。

 

不幸な人の愚痴は苦手だ。自分は別にズルをして平和に生きているわけではないが、なんとなく何か悪いことのように感じてしまいそうになる。

だから自分のメンタルを守るために「んなこと言っても自分悪くねーもん」と開き直りがちだが、フォロイーが良くない環境にいることもそれはそれで嫌だ。

運悪く不幸な環境にいる人との接し方は難しい。特に「良い環境にいる人には、自分の苦しみはわからない」系の言い方をする人に対してはもう色々諦めるしかない。実際自分は良い環境にいるし、自分以外の経験はできないし、自分以外の感情は分からないので、そうだね、分かりません、と言うしかない。

総合的にはその人のことが好きでも、その部分に関しては諦めて、「この人は自分みたいな奴のことを部分的に嫌いなんだな」と思っておくしかない。

自分もその人のそういう愚痴は嫌いなのでお互い様なのだが。

 

今自分はまあまあ上手くやっていると思うけど、それを努力の結果だとはあまり思えない。運が良かったから上手くやれていると思う。

実際にあんまり苦労とかしていないし、あんまり努力した実感もない。でもこれが、前述のような言説に影響されて現実をネガティブに捉えてしまった結果そう思えているのか、それとも本当に運だけでやってきているからなのか最早分からない。

努力の結果なにかを得た、みたいな実感が極端に無いことは割と困って、自己肯定感とかが減っていると思う。だから個人的にはああいう「その成功は環境のおかげだ」みたいな言い方は、正しい部分があることも分かるが、心情的に苦手でもある。

 

例の祝辞は、上野千鶴子氏が「自分の成功は良い環境のおかげである」と認識し、「私のような者を採用していることが、東大が多様性に開かれていることの証拠だ」と言っていること自体は好ましく思えた。

活動家のようなことをしていてある程度地位を確立している人だと、「自分の成功は自分の努力の結果である」と思っていて、「今悪い環境に居る人はもっと努力すべきだ」みたいに主張する人が割と多いように感じられるから。

だから今良くない環境に居る人の中には「努力をしていないから悪い状況にある」というだけでなく、「努力をすれば報われると思えない」「努力ができない」という可能性があるのだ、ということを認識しているのは、氏の立場からすれば全然良いことなのだと思う。その点では思ったより良い事を言っているな、とは思った。

でもそれを入学式で言うのはちょっと酷いだろという気持ちもとてもある。

 

自分はエリートではないので、さほど努力とかもしていないし、ものすごい成功とかもしていない。だから東大生とは色々違う。

だが、ここで東大生と自分を極端に切り離して、「東大生はエリートだから、ああいうことを言われても平気だろう、このくらい言ってやるべきだろう」みたいに考えるのは雑すぎだろうと思う。それこそ上野千鶴子氏は、『彼女は頭が悪いから』で書かれていたような「東大生は挫折を知らないエリート」的な雑なイメージで喋ってね?という気がちょっとした。

 

まあとにかく、自分は上記のように「良い環境に居るので多分疎まれている」みたいな感覚を引きずって生きているので、あの祝辞を「自分には関係ない調子に乗ったエリートへの鋭い言葉」みたいに受け取るという発想がなかった。なるほどなぁ。

あれを自分には関係のない話と受け取る人って、「あいつらは恵まれているが、自分はそうではない(不幸だ、或いは普通だ)」と思ってるんだろうか?それとも実際良くない環境にいる人なんだろうか。自分は良い環境に居る側なので分からないが。

 

この件とは直接関係無いのだが、最近話題のジェンダーバイアスのある漫画は禁止にしろみたいに言ってる漫画家の話とかでも思うんだけど、自分の状況を客観視しようという姿勢の無い人多くない?

いや、そう簡単に客観視なんてできるわけない、というのは確かなのだが、客観視しようという姿勢が全く無い感じの人多くないか。「自分の主観は偏っているかもしれない」と疑うことをしていないというか。

例のジェンダーバイアスの人、自分の描写には全くジェンダーバイアスが無いと思ってるっぽいのがヤバすぎるじゃん。自分の漫画で登場人物に「良いジェンダーバイアスとか許容範囲のジェンダーバイアスなんて無い」って言わせてるらしいけど、あらゆるタイプの人格を漫画の中に全て登場させることなんてできない以上、ある程度のバイアスは絶対にかかるしそれって仕方ないことだと思うんだけど、その程度のことも分かってないわけでしょ。

 

東大祝辞の件とジェンダーバイアス禁止しろさんの件は全然別の話だけど、立て続けに来たせいでそのように感じてしまった。

「自分は全く他人を踏んでない」と思い込んで生きてるっぽい人達、普通に怖い。

*1:その小説自体は読んでいないし自分は東大に関係ない人間なので真偽の程はよくわからない