『ミスエデュケーション』CF成功めでたい、Aセクが出る話も見たい

10代レズビアンのリアルな青春とサバイバルを描いた映画原作小説 『The Miseducation of Cameron Post』を翻訳出版して若者に届けたい! | THOUSANDS OF BOOKSgreenfunding.jp

支援した。達成おめでとう。

本当はクラファンの期間中にこの記事を書こうと思っていたのだが遅筆なので全然間に合わなかった。

 

ぶっちゃけるとこの話がそんなに読みたかったかというとそうでもない。

活動報告のところにあった文章が良かったので、それに釣られたのだ。だから本自体についてはろくに調べてない。

 

「若者も読める海外クィア女子文学」をもっと日本に – 本プロジェクト立ち上げの経緯 - | 10代レズビアンのリアルな青春とサバイバルを描いた映画原作小説 『The Miseducation of Cameron Post』を翻訳出版して若者に届けたい! | THOUSANDS OF BOOKSgreenfunding.jp

これ

 

 

近年刊行される海外YA小説は、LGBTQのキャラクターが登場することが非常に多いのです。特に、ゲイの男の子のキャラが。(中略)しかし、はじめから<10代の若者に向けて書かれた>レズビアンクィア女子のYA小説…となると、どうでしょう。ぐっと選択肢が減りませんか。

 

物語の登場人物と自分を重ね合わせて「あ、この感覚、知ってる」「その気持ちわかる」と感じる体験は、楽しいものです。胸が高鳴るものです。時には痛いほど共感して涙が出てきたり、じわじわと勇気がみなぎってきたり、救われる気持ちになったりして、心を大きく揺さぶられます。(中略)

ほかのありとあらゆる人と同じように、日本社会に生きるクィア女子、クィア女性たちにも、物語の主人公に自分を重ね合わせて想いを馳せる資格がある。そしてその資格が「自分にもあるんだ」と気付く瞬間は、人生のうちで早ければ早いほど良いはずです。

 

うわーいいな。私もこういうこと言われたい。羨ましい〜〜

だが私はレズビアンではないので私向けの言葉ではないのであった。畜生

 

実際は現在レズビアンを主役とする物語が少ないというのは当事者からしたらつらかろうし、レズビアンの状況は何も「いいなー」ではない。今後現実が良い方向に変わることを祈るばかりだし、このクラファンが成功して良かったと思う。

が、個人的感情としてはやっぱりめちゃくちゃ羨ましくて、それをこっちに対してもやってほしい。

私もそれがほしい。同じやつの、でも同じじゃなく私向けのやつがほしい。

 

前にカノホモの感想記事でも書いたのだが、アロマンティック・又はアセクシャルが出るフィクションが見たいな、と思い続けている。……というのは今だからできる言い方で、実際はAという概念を知る前からそういうことを思っていた。

 

自分はAという概念を知った時にめちゃくちゃパラダイムシフトを起こしてしまい(パラダイムシフトの使い方間違ってるかもしれんけどうまい具合の言葉がわからん)、その言葉を知る前に何を考えて生きていたかをあんまり思い出せなくなってしまった。でも世の中の物語に対して抱いていた不満のことは割と覚えている。

今思えば、あれは多くの物語にセクシュアリティの面で共感できるキャラクターが居ないことへの不満だった。

まあ別に、セクシュアリティ的に共感できるキャラが居なくても面白い話は色々あるのだが、たまにはそこで共感もしたい。

 

だが、実際のところ、Aのキャラクターが登場するフィクションの探し方が、私は未だに分かっていない。そもそも探せるほど存在するかどうかすらよく分からない。

とりあえずそれっぽいワードでググってみたけど全然ヒットしないし。

LGBT関連とかでもだいたいGとLの話ばかりでは?まあそもそもAはLGBT(の字面)に含まれとらんしな。

 

一度フォロイーになんか知らない?と聞いてみたら「純情乙男マコちゃん」を紹介してもらえて、それはとても良かったのだが、「これ口コミ以外で辿り着くの無理では?」って感じのタグしか付いていなかった。

まあこの話の場合登場人物がAであることは割と重大なネタバレになるので仕方なくもあるけど……いやでもな……

 

comic.pixiv.net

純情乙男マコちゃんは普通におもしろいのでおすすめです。

 

とにかく私は未だAのキャラが出るフィクションを全然見つけられていないのである。 

今でも見つけられないくらいだから、Aという概念を知る前に自分が求めているものを探すのはもっと困難で、よく地雷を踏んでいた。

特に踏みがちだったのはレディコミ系だ。レディコミに詳しくないからもしかしたらレディコミじゃないかもしれないけど、なんかオタクじゃない女性向けみたいなやつ。

レディコミ系、彼氏いない歴年齢、容姿並、趣味が楽しいから恋愛に興味ない!みたいな女主人公が割といる。

それを「自分じゃん」と思って試し読みすると、結局周りの人間が恋愛や結婚をしていくのを見て自分が惨めに思える……とか、旧知のイケメンと会って浮わついたりとか、ちょっと恋愛っぽいフラグが立ってワンチャン期待してる風な素振りを見せたりとか、そんなんばっか出てくる。

そういうのじゃねえんだよ。

こういうやつに出くわす度に、またファッション恋愛興味ない人間かよクソが、と落胆して軽蔑していた。

 

そんなことをよくやっていたので、冒頭で引用した活動報告の文言が、自分にはめちゃくちゃ刺さったのだ。

自分はレズビアンではないし他人の感覚は結局分からないけど、でも部分的には分かる。自分も物語の登場人物に、その面で共感する機会が欲しい。

あの文章は、自分の不満を的確に、且つ攻撃的にならずに表し、それを適切に救おうとしていて、めちゃくちゃ好きだ。

でも私はレズビアンではないので、あれが私(を含む属性)に向けられた言葉ではないことが妬ましい。

でもここで足を引っ張ったら、こっち側まで救いの手が及ぶことは絶対になくなると思うので、私はあれを応援しなければならない。

あれが成功したように、いつか自分の方にもああいう言葉をかけてもらえるようになるくらい、世の中に余裕ができてほしい。本当はいつかと言わず今すぐ来てほしい。もうずっと私向けの物語を欲し続けている。

 

 

と、そのように夢想する一方で、Aのキャラクターが出るフィクションというのは、LGBのそれとはまた別の難しさもあると思う。

これは、今後LやGやBの物語での扱いがいい具合になったとしても、それと同じ手段では解決できない問題だと思う。

ここからはクラファンの話とは関係ない。元々あのクラファン関係なくこの話題で記事を書こうと思って放置していたのが、丁度いい感じにクラファンを見つけたので記事がフュージョンしちゃったんだよね(話題の切り分けが下手)

 

Aのキャラが出るフィクションが増えることは難しいだろうなと思う理由は2つある。

1つめに、書くのが難しい。

どうもロマンティック・セクシャルの人間にとって、Aのキャラクターを描くことは難しいらしい。

これはよく考えてみたら私もロマンティックセクシャルのキャラクターを書くのは(技術的な問題を抜きにしても)難しいと感じるので、当たり前かもしれない。

現実的に世の中の人間の大半は(信じがたいことに)ロマンティックセクシャルらしいので、多分、単純に計算してAのキャラクターを書ける人は少ない。そもそも創作する人が希少人種だからよりレアだろう。

  

Aじゃない人が考えそうなAキャラとして分かりやすいのはシャーロック・ホームズとかだと思う。でもあれ系はちょっと違うのだ。

私はシャーロック・ホームズを読まないので聞きかじりで言うが(間違ってたらすんません)、ホームズは、人間味のない変人としての描写の一環で恋愛をしていない、という感じだと思う。

確かにそれは定義上恋愛をしていないけれども、でも「Aのキャラが出る話が見たい」と言っている時に求めているのはそういうことではないのだ。

私は恋愛しないことを非人間的だとするような話が見たいわけではない。

ロマンティックセクシャルの人から見て、「恋愛をしない」ということは時に非人間的に思えて、そういう人格を想像するのかもしれないが、私にとって恋愛をしないことは普通で、全然人間である。

だからAという性質によって表現されるものが人間味の無さというパターンは見たいものと違う。

人間味の無いキャラはそれはそれで好きなのだが、今言ってるのはそうじゃなくて、普通にAのキャラが見たいのだ。

でもそれは描写が困難である。だから無い。つらい。

 

2つめに、Aは面白くない。

暴言だが、でもそうだと思う。

世の中に存在する物語は大半が恋愛か死の話だと思う。それは多分恋愛とか死の持つ物語パワーがめっちゃ強いからだ。他だとパワーがあるのは戦いとかだろうか。

Aのキャラというのは恋愛というカードが使えないので、必然的にロマンティックセクシャルのキャラと比べて物語パワーが無い。つまり、つまらない。

私はAのキャラが見たいと言いながら、でも同時に、AのキャラのAであることにフォーカスするような話は、果たして面白いのか?と思う。

少なくとも恋愛をする人から見たら、Aの話はきっとつまらないのではないかと思う。

つまらなければ需要がない。需要が無いものは売れない。売れないから作られない。つらい。

一体どうやって話を展開すればいいんだろう。バトル系の世界観ならまだ間が持つか?うーん。

 

冒頭に引用したクラファンの活動報告文の中に、「誰も死んだりしない、悲劇的なエンディングではない、希望を持って楽しめるハッピーなレズビアン作品は、近年どんどん増えてきました。今後は、レズビアンクィア女子が活躍するYA小説を、もっと日本の若者に届けたい。」というのがあった。

それは分かる。

でも自分は、Aはこの段階にはまだ進めないなと思った。元の文章はAの話をしているわけではないので当たり前なのだが。

LやGとAは別なので勝手に比べても仕方ないのだが、LやGやBは結局恋愛の話ができるし、現実的に付きまとう困難や悲劇も、物語パワーという意味では有用だと思う。かつて悲しい話が多かったらしいのも、悲劇の持つ物語パワーが強いからじゃないだろうか。

でもAは恋愛というカードが無いから、死と悲劇まで除外したら、物語にする難易度が高すぎる気がする。だから正直、現時点ではとりあえず悲劇的でもいいからAが出る話が見てみたい。脱悲劇の前に、とりあえず増えてほしい。

 

直接は関係ない話だが、前アナ雪で「エルサに女性のパートナーを作ってくれ」みたいな運動が起こっていたと思うのだが、私はあれが嫌だった。

私はアナ雪を見ていないので、エルサが作中の描写でどう見てもレズビアンだったんなら、その場合は私が見てない癖に適当言って間違ってるということなのですんません。

でももし、エルサが異性とくっつかないことを以てそう言われているんだったらそれは嫌だ。

作中で異性とくっつかないことはイコール同性愛者であるということではない。

同性愛者かもしれないけど、別に異性愛者かもしれない。異性愛者だからって作中で異性とくっつかなければならないわけではないだろうし。もしかしたらAかもしれないし、パンセクもしれない。作中で絡んだ特定の異性とくっつかないことは、ただそいつとくっつかなかったという事実以外を意味しないと思う。

エルサに同性のパートナーを、と言った人達は同性愛の当事者で、エルサと自分を重ねて、エルサが恋愛のパートナーを得て幸せになることで救われる人達だったのかもしれない。それを私がどうこう言うことはできない。

でも私は捻くれているから、あれを見て、やっぱり恋愛をしなくてパートナーが居ないということは、物語としては良くなくて、未完で、克服されるべき状態なんだろうか、と思って嫌だった。

恋愛をしなくてパートナーが居ないキャラクターも、物語で存在することを受け入れられてほしかった。

 

結局何が言いたいのか分からなくなってきた。

AのキャラがAであることを恋愛の踏み台にされなくて、尚且つ人間らしく出ている話を知っていたら教えてください。まじで

ちなみに『性別モナリザの君へ』は主人公は若干それっぽいけど作中での非恋愛的性質の扱いとか男女観が合わなくてあんまり好みじゃなかった。

 

やがて君になる』は新アニメ一覧眺めてた時にAかな?と思ったら百合展開みたいでスルーしたんだけど、完全に恋愛的な百合というわけでもなく片方がAっぽいみたいでちょっと気になってはいる。

でも百合作品としてカテゴライズされてるから結局どうなんだ……みたいな感じで怖くて見れてない。結局どうなるんだろうあれ。最終的に恋愛になるんじゃないなら見たいかも。

 

この「百合作品」みたいなカテゴライズも難しいものがあると思う。実際「やが君」はキャラ二人は別に同性愛カップルなわけではないらしいのに百合作品としてカテゴライズされていて、カテゴライズとキャラの性指向は関係ない。

自分も実際同性愛カップルなわけではない二人の関係を指してBLだわ~って思う。

 

『ミスエデュケーション』についても、支援者だか企画側の人だか忘れたが、「百合ではないレズビアン小説」と称している人がいてちょっと不思議だった。

百合かどうかは読んだ人の受け取り方であって、一人が決められるものではないのでは?と思う。

まあ多分発言者的には「(主に)男性向けのファンタジーとしてではなく、レズビアン当事者向けを想定して書かれている」みたいなニュアンスだったのかもしれないけど。

ただ「百合/BLかどうか判断するのは読者」という理論は、そのまま私が恋愛ではないと思っているものを「恋愛もの」とカテゴライズされることも肯定するわけで、難しい。