熱狂する才能が無い

自分は疲れたオタクである。いや、オタクではないかもしれない(自信喪失)

最初から自信を失ったのは、あまり活動していないからだ。

iPhoneにはソシャゲアプリが割と入っているし、上手くないが二次元コンテンツの絵を描くことを楽しむし、最近はTRPGとか楽しい。アニメもちょっと見る。好みは二次元コンテンツの方向を向いていて、二次元コンテンツを好む人間全般を二次元オタクと定義するのであれば私も二次元オタクということになる。

だがオタクという言葉は元々その分野の深い知識を持ち精力的に活動するような人を指した言葉らしいので、それで行くと自分はオタクではない。

最近どこかで見た「ゆるヲタ」という言い方が近いかもしれない。

 

ぐだぐだしてしまったが、オタクの定義とかは実は本題ではないのだ。

ツイッターを眺めていると、オタクを自称している人たちの中には、熱狂する才能がものすごくある人がたくさんいるなあ、と思うのだ。

 

 

冒頭にも書いたが自分は疲れていて、活動度が低い。

オタク活動度が低い、と言うと、「自分は絵も文もかかない、同人誌を出さないオタクなので生産性がない」みたいな主張もよく見るので、そういう感じを想像されるかもしれないが、自分の活動度はもう一段階低くて、「コンテンツを受容する体力がない」系の層だ。ツイッターでよく見るやつだと、「ガチャだけ回しているがゲームをあまり進められていない」に近い。

一方で、コンテンツに強い感情を向けて、楽しみ、ちゃんとゲームを遊んだりアニメを見たりして、イベントにも行ったりする人がTLにはよくいる。二次創作をしない、同人誌を出さない人でも、活動度が高いな、と思える人がたくさん居るのだ。

「生産するタイプのオタク」と「生産しないタイプのオタク」は割と別の層として認識されていると思うのだが、生産しない層の中でもアクティブなタイプとノンアクティブなタイプはかなり差があるなあ、と感じる。そして自分はノンアクティブ中のノンアクティブだ。

 

自分がノンアクティブなのは疲労によるところも大きいと思うのだが、それを差し引いても、なんだか自分には熱狂する才能が欠けているように感じられる。

と言うのは、労力があまりかからない部分に対しても、いまいち夢中になっていないような気がするからだ。

 

例えば今などは一応勤めている身なので、毎日疲れてアニメを見る精神力が無い……となるのはまあ分かる。ただ、じゃあ時間があった大学生の時は、もっと前はどうだったか?と考えると、別に自分はその時期も活動的ではなかった。今よりは多少マシだった気はするが、たかが知れていた。

長くツイッターをやっていると、何年もフォローしている人が居て、その中で「こないだまではすごくゲームをやっていたのに、社会人になった(らしい)途端ツイートが忙しそうで元気がなくなった」という人も割と居る。自分にはこれがすごく怖く見えて、社会人になんてなりたくないよォ~~~!!!となった一因でもあるのだが、よく考えればそういう人たちと自分は元々の活動度にかなり差があった。だから、自分は忙しさで活動度が下がったわけではなく、元から活動度が低かった。

 

自分はかなり幼い頃から二次元コンテンツを見ていたのだが、思い返せば昔から熱中度は低めだった気がする。

初めてオンゲに課金した時は、「ついにやってしまった、きっとこれからどんどんハマって、ネットで聞くみたいにガチャにお金をつぎ込んでしまうようになるに違いない!」と思っていた。でもそうはならなかった。

初めて課金したのはガチャではなく買切りだったので、後にガチャに手を出した時も「今度こそハマってしまうに違いない!!」と思ったのだが、結局そうでもなかった。

その頃は小遣いの中から課金していたから、「勤め始めて自分で収入を得るようになったら沢山課金してしまうのではないか!?」とも考えていたのだが、自由に使える金額が増えた分前より課金額は増えたものの、想像していたほどではなかった。

関係ないが、成人して初めて酒を飲んだ時にも「きっとめちゃくちゃ飲むようになってしまうに違いない!!」と思っていたのだが、そうでもなかった。

これは別に、「重課金になったらヤバイから、我慢しなきゃ!」と自分を強く律していたわけではない。ただ、それほどの熱意が湧いてこなかった。

 

 コンテンツがつまらないわけではない。好きなキャラは居るし、できれば手に入れたいと思う。

でも、ツイッターでよく見るみたいに、何万円も課金してそのキャラを手に入れたい!!という気持ちは湧いてこない。

逆に、色々あって少ししかガチャは回さなくて、それで目当てを手に入れられなくてものすごく落ち込む……といった気持ちもあまり起こらない。

好きなキャラの限定カードが欲しくて、ちまちま貯めた無料石で100連して出なかったこともあるし、一万円くらい課金したけど20連ぽっちじゃやっぱりレアアイテムは出なかった、という経験もある。もちろんその時は残念だったけど、でも長々と落ち込むほどではなかった。まあ確率的にもそりゃそうだよな、という気持ちが強かった。

だから、ガチャをぶん回して一喜一憂したり、好きなキャラを引けなかったことで本当に悲しそうにしている人を見ると、嫌味ではなく憧れや尊敬のような気持ちを抱いてしまうのだ。

ガチャにハマりすぎてヤバイことになったという話はよく聞くし、ハマっている人が必ずしも楽しいわけではないことは分かっているのだが、自分は「いまいちハマれない」ことにも微妙に寂しさを感じてしまう。

 とはいえ、ガチャをぶん回すタイプのコンテンツの楽しみ方に一種の憧れはあるのだが、実際分の悪いギャンブルなことも事実なので、これにドハマリしていないことは幸運とも思える。

ガチャは沼。だからハマりすぎない程度に楽しむがよい。一定の正しさはある。

 

でも、じゃあそうでない部分は?ガチャ以外の部分ならコンテンツを思いっきり楽しめているのか?と考えると、自分の場合これもまた微妙な気がするのだ。

 自分は昔から、ゲームがものすごく下手くそだ。

全般が下手くそだが、一番ひどいのはアクション系だ。自分が下手くそなことは分かるが、どう悪くてどう直すと良くなるのかがよく分からなくて、練習していても方向性が掴めないまま飽きてやめてしまう。

よく「強くなりたいから練習する」とか、「上達するのが楽しいのに」という意見を見るが、強くなりたいという気持ちがあまり湧いてこなくて、じゃあいいやとなりがちだ。ゲーマーから嫌われるタイプだ。

なら難易度の低いゲームならやれるのか、というとそれも苦手だ。モバゲーに代表されるようなポチポチ系は全然続かないし、周回してドロップアイテムを集めて強化して……というようなタイプもサボってしまっていつまでもクソ雑魚のままだ。

そういうゲームにも好きなキャラクターは居て、公式情報はそこそこ見ているのだが、強くなりたいという気持ちがどうにも湧いてこなくて、難易度の低いイベントストーリーを読んでキャラを集めるだけになっている。

好きだけど、頑張る気持ちに繋がらない。なんでもかんでもちゃんとやらないままだ。一つとしてまともに遊んだゲームが無い気がする。

実はあんまり好きじゃないんだろうか?ゲームをちゃんと遊んでいる人たちは、自分が思っているよりもっとずっと強くそれを好きなんだろうか。

 

ゲームではなく、一方的に受容する場合でも、どうにも自分はいまいち下手だ。

好きなキャラの、自分の思い通りの供給が来て、一番楽しい時でも、ガチャをぶん回しているような人たちの喜びの強さには全然敵わないと思う。別に競っているわけではないからいいんだけど、実際敵わないと思う。

好きなジャンルの一つにキャラが歌う系のジャンルがあるのだが、そこでとてもカッコいい曲が出た時、自分は当然嬉しかった。でも普段から熱狂している人たちのものすごいリアクションに比べたら、自分の喜び方などささやかなものだった。

声優ライブに対するリアクションなども、そういう人たちはとても熱くて、アクティブだけど、自分はどうにもそれほど熱狂できない。

私が日頃からそのジャンルに対して色々細々とした不満を抱えているせいもあるのだろうが、熱狂している人たちだって同様の不満を抱えているのだ(普段そういうツイートもしている)。

だから、熱狂できることと、信者かどうかはあまり関係ないと思う。自分は信者にはなれないタイプだけど、熱狂できない原因は多分それではない。

 

それから、よく見るのが、公式供給や自分の妄想で泣いたり体調を崩したりするという人だ。

自分は基本そういうことが無い。感動的なストーリーで泣くことはあるが、供給が嬉しかったり素晴らしかったりして感極まって泣く、ということは無い。体調にも影響しなくて、ただテンションが上下するだけだ。

だからそういう言い方はオタクがやりがちな誇張だと思いこんでいたのだが、どうにも本当にそうなっている人も居るらしいと知った時には衝撃を受けた。

そこまでのめり込める感覚はとても想像が付かないけど、なんとなく尊敬するし、やっぱりそういう反応ができるのって熱狂する才能だと思うのだ。